前項に引き続き飯坂温泉の宿をお送りします。元禄2年(1689)に訪ねた芭蕉も入ったといわれる飯坂温泉発祥の共同浴場「鯖湖湯」。その鯖湖湯の手前に添うように4つの湯宿が点在する。前項で紹介した「なかや旅館」さんもその中のひとつだが、中でも白壁に赤瓦の美しいコントラストをみせる3階建て白壁土蔵造りの威風堂々たる佇まいが「なかむらや旅館」さん。
なかむらやさんは初代が飯坂で当時の「花菱屋」を買い受け営業したのが始まりだそうです。宿は江戸末期の江戸館と明治の初めに増築された明治館からなり共に国登録有形文化財に指定されている。
建物二階部分にはなかむらやの紋所と以前の花菱屋の紋所が並ぶ。(写真は花菱の紋所)
入浴をお願いすると奥の暖簾の先からまーるい笑顔で女将さんが迎えてくれ浴場まで案内してくださいました。
なかむらやの紋所「丸に違い鷹の羽」をくぐった廊下の先に「與右衛門の湯」(よえもん)と「寛ぎの湯」ふたつの浴場がある。
與右衛門の湯は1993年に「鯖湖湯」が新たに再建された際、それまで湯殿でつかわれていた石が廃材となることに女将さんが心を痛め、どうにかこの石を残すことはできないかと考えた末、宿の湯殿で再利用する事を決心。女将さんの熱いパッションとガッツが生み出した湯殿なのだ。この石は1911年、与謝野晶子が鯖湖湯に浸かった際、「わがひたる寒水石の湯槽にも月のさし入る飯坂の里」と詠んだ「寒水石」がまさにそれなのだ。
白壁に黒御影石で縁どりされた浴槽がひとつ、無駄のない清々しい空間。あちちな鯖湖湯の湯がワン・バウンド、ツー・バウンドで浴槽に注がれる。新鮮でクリアな湯はカツっと熱め。
床や浴槽内につかわれた寒水石。もともと白っぽい寒水石がながい年月と共に変色し、深みのあるセピア色を成す。往時の鯖湖湯をしのぶステキな湯浴みできるのです。
脱衣場にかかるレトロな温泉分析書
隣にあるもうひとつの「寛ぎの湯」は木で縁どりされた御影石造りの浴槽。いたってシンプルな湯殿で洗い場にはシャワー付きのカランが備えられている。2つの浴場を男女に分けず、互いに貸切で利用できるのがうれしい。
お手洗いをお借りするため浴場先の廊下を進むとパックリと口を開けた重厚な扉の蔵にでる。
土蔵造りというのは外の音を遮断する効果が高く館内はとても静かな空間になっている。やさしいボリュームでジャズが流れていた。お手洗いに繋がる通路も見応えある博物館クラス。所々に置かれたアンティークな調度品に目を釘付けにされる。とてもAC/DCやメタリカが流れる雰囲気は微塵も感じられない。
お手洗いも博物館級。透かし彫りがついた扉や美しい硝子絵などの往時の贅を凝らした意匠にうっとり。さらにこれらが明治時代に造られ、いまだ現役で美しい状態で現存しているのに驚かされてしまう。
なかむらやさんも2011年の東日本大震災で建物に大きな打撃を受けたそうです。江戸館の2階と3階の間の太い柱が数本折れ、震災後文化財に詳しい大工さんとの話し合いで「江戸館を取り壊し新たに再建できるが10億円もの予算がかかる」といわれたという。一時期は閉館も考えたそうですが、そんな折、常連客からの𠮟咤激励をもらい復活へと心がうごいたそうです。先代たちが乗り越えてきた苦難やもっと大きな被害を受けた浜通りの方々のことを想うとここで終わらすわけにはいかないと自然に力が湧いたという。それから建築士さん、大工さんと話し合い、時には大喧嘩もしながらなんとか匠の知恵とアイデアで修繕という形で復活を成し遂げたという。そんな話を女将さんが帳場のある囲炉裏で実にエモーショナルに話してくださいました。
しかし復活後、ひとつ困り事があるという女将さん。震災で帳場上の天井が落ちかけてしまい新たに柱を立てることとなった。そのため今まで正面にかけていた明治初期からの柱時計を移動せざるを得なくなり、囲炉裏側の壁にかけることになったそうです。(写真↑)それからというもの柱時計に異変が。「今まで遅れることのなかった分針が遅れたり、3時に鐘が4回鳴ったりとヘソ曲げてるのかな?」とユーモラスに話していたのがとても印象的でした。なかむらやさんでは湯だけではなく、女将さんからも英気と勇気を養えました。ありがとう 女将さん!では皆さん、健康で素敵な湯巡りを。(訪2017年末)