紀伊半島の南部にある熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社。これら熊野三山を詣でる道を熊野古道と言います。一口にいえども範囲は広く、伊勢路のほか、紀伊路、中辺路、大峰奥駈道、大辺路などのいくつかのコースがあり、歩く旅を好むハイカーたちにオススメなのが小辺路であります。
小辺路(こへち)は、真言密教の聖地「高野山」と、全国にある熊野神社の総本宮「熊野本宮大社」の二大聖地を結ぶ72kmの参詣道であります。そして今回、その小辺路から更に「熊野那智大社」までを結ぶ中辺路(なかへち)約30kmをプラスした100km超のロングトレイルやってみました。
東京から新幹線に乗って大阪まで。大阪(梅田)から御堂筋線でなんば駅まで乗り、そこから、南海高野線に乗り換え、終点の極楽橋駅に着くと、高野山まで一気に引き上げてくれる高野山ケーブルカーに乗り継ぎます。
極楽橋駅から距離0.8km、高さ340m、最高勾配30度を5分で引き上げ、スタート地点である聖地「高野山」に到着。高野山観光を兼ねて前日入りしました。
高野山駅からさらに10分ほどバスに乗り、中心街に移動。小腹が減ったので直ぐ食べられそうなうどん屋に入って「高野豆腐入りきつねうどん」を注文。お揚げのやさしい甘味とたっぷり吸い込んだ昆布出汁が口の中でジュワッと広がる瞬間が大好き。高野豆腐も染みうまで、久々の関西出汁にニンマリ。
今から1200年前、弘法大師 空海が真言密教の根本道場として開創した霊場高野山。標高900mの高峰に東西6km、南北3kmに及ぶ山上盆地に壇上伽藍、奥の院、金剛峯寺を中心に117ヵ寺が連なる宗教都市であります。そして腹ごしらえをして、先ずむかったのは、金剛峯寺(前出イラスト)。
他力本願寺 総本山住職の僕が、高野山真言宗の総本山「金剛峯寺」を見学。広大な意匠の凝った建物内には、大広間、持仏間、梅の間、柳の間などがあり、狩野派の絵師たちによる迫力ある襖絵を見ることができます。
奥殿にある石庭「蟠龍庭」は京の白川砂を雲海、四国の花崗岩を雄雌一対の龍に見立て、奥殿を守っているように表現。石と石との余白に奥ゆかしさを感じるのであります。
金剛峯寺の檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の上には火災の際に類焼を防ぐ目的で、普段から雨水をためておく「天水桶」が置かれています。
金剛峯寺の斜め向かいにあるのが壇上伽藍(だんじょうがらん)。弘法大師が高野山の開創にあたり、最初に手がけた場所といわれています。訪れると真っ先に目に入るのが鮮やかな朱色の根本大塔(こんぽんだいとう)であります。塔内は中央に胎蔵界大日如来、四方に金剛界四仏、周囲16本の柱には十六大菩薩が極彩色で描かれ、立体曼荼羅の空間を成している。
弘法大師がお住まいになっていたとされる「御影堂」(みえどう)は屋根の勾配の曲線美と軒下に並ぶ金の吊り燈籠が優雅なお堂であります。
弘法大師が今も瞑想を続けるという御廟(ごびょう)が祀られている奥の院は壇上伽藍と並び称される高野山の聖地であります。
平安時代から近代に至るまで、時代も身分も人種も超えた人々の供養塔が群がるように並んでいます。豊臣秀吉(写真)、織田信長、明智光秀、武田信玄と歴史に名を残す戦国武将たちも敵味方、分け隔てなく横並び。大師信仰の懐の深さを感じます。
供養塔などの人工物と杉木立などの自然が混在する奥の院は、ながい歳月を経てびっしりと苔むすことで渾然一体となり神秘的な景観を生みます。
高野山での宿泊したゲストハウス「コクウ」さんは、コンパクトなプライベート・スペースが特徴的。白塗りの館内にカプセル部屋、個室のベッドルーム、シャワールーム、トイレ、リビング、バーカウンターをぎゅっと詰め込んだオモシロ空間。
この日、宿泊者は僕一人だったので、ご主人からお好きなカプセル部屋をお使い下さいの事でした。二階に登る梯子なんかも無駄がなく、所々にワクワクを感じさせてくれます。
夕食は近所のとんかつ屋さんでいただきました。翌日からスタートする4泊5日のロングトレイルに備え、チンカチンカのルービーとスタミナ確保。「エビのしっぽはグルコサミン~、全部食べてね、膝にいいから~」と、独特なリズムにのせたような言い方でお店の奥さんに言われます。そして僕が東京から来た事を告げると、「ここに来たということは、お大師様に呼ばれたという事やからね」と感慨深いお言葉をいただきました。そして数分後、離れた別席から「エビのしっぽはグルコサミン~・・・」と、再び奥さんのラブコール。このフレーズ2・3日耳から離れませんでした。次章につづく。では皆さん、健康で素敵な湯巡りを。(訪2020年10月)
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