一日の感染者数が徐々に減ってはきていますが、まだまだ油断ならない状態です。しかしながら朝の来ない夜はなく、春の来ない冬もございません。いつかまた湯の町で湯巡りできる日を楽しみに更新を続けます。
本気と書いて「マジ」、刑事と書いて「デカ」、温湯と書いて「ぬるゆ」と読みます。前項の黒石市「中町こみせ通り」を後にさらに東南へ8kmほど移動し、浅瀬石川河畔に湧く開湯400年以上の古湯、温湯温泉へ。湯治が盛んだったかつての温泉場の宿には内風呂がなく、共同浴場に通うのがあたりまえでした。内風呂をもたない宿を「客舎」(かくしゃ)といい、温泉場は共同浴場を中心に形成されてきました。
温湯温泉もまた共同浴場を中心に発展してきた小ぢんまりとした温泉場で、明治後半から大正時代にかけて共同浴場を囲むように宿が建ち始め、湯治場として発展してきました。そしてこの湯治場の古い形式が今も残っているのが、この温泉の特徴です。飯塚旅館もかつては飯塚客舎と呼ばれる湯治宿でしたが、現在は内風呂を有する温泉旅館として営業しています。大正時代に建てられたという檜造りの佇まいには木造伝統建築の威厳を感じます。
部屋に案内され、荷をおろし、先ずは街を散策がてら共同浴場へ。共同浴場を囲むよう客舎と書かれた古い木造の宿が並びます。
まるで昭和で時が止まったかのような鄙びた街並みにうっとり。
そして正面に千鳥破風がついた共同浴場の建物。「鶴の名湯」の名が付く浴場は、鶴が傷を癒していたことから温泉が発見されたという伝説からのようです。
正面玄関の両脇に津軽系「温湯こけし」の灯篭が2体ずつ鎮座。11系統あるこけしの中でもウエストがキュッと締ったスレンダー体型。やさいし灯りがともります。
天井が高く開放感のある湯殿には15人はゆったりと浸かれる広さの浴槽にはタイルの色も手伝ってか、微かに黄緑がかった湯色の湯が満たされています。温度の違う2つの槽に分れた浴槽は赤い御影石でトリミングされたタイル張り。
「ぬるゆ温泉」なのに源泉温度は50℃前後で決してぬるい訳ではなく、よく温まる湯というのが語源のようで、弱アルカリの芒硝-食塩泉は確かにポカポカ持続のお湯なのです。
フロントには温湯こけしの名工、盛 秀太郎のこけしをはじめ津軽系こけしがショーケースに並びます。
そして地元のお野菜なんかも並びます。密に詰まったトウモロコシは見るだけで舌に甘みが伝わってきます。嗚呼
いい汗かいた後は、部屋に戻ってチンカチンカに冷えたルービー頂きました。あらかじめ黒石駅に隣接する生協さんで夕食用の総菜などを購入していました。次回、飯塚旅館の後編をお送りします。では皆さん、健康で素敵な湯巡りを。(訪2019年7月)
ん?「強敵」と書いて友?もしや、ケンシロウ?
僕は「真剣」と書いてマジと読んでます。「強敵」は友と読むようにしています。